ゆとり世代のインド生活

いきなりインドの田舎にぶっ飛ばされ、インド人だけの環境にぶちこまれた哀れなゆとり世代の独り言。デリー、ムンバイへの憧れ。将来への期待と不安。大気汚染による健康被害への深刻な不安。

インド赴任まで その2

家族会議

主な論点は以下の2点であった。
①この辞令を受けるかどうか(断る=辞める?)
②家族帯同可能かどうか

①については、家に着くころには十分すぎるほど考えを巡らせていたため、「自分のキャリアにとって間違いなく有利に働くため(行きたくないが)行くべきだろう」と結論付けていた。
問題は②である。会社にとってもインドは初進出であるため前例などあるはずもなく、可能性は半々くらいの感覚だった。もし帯同不可となったら、どうするか。そこまでしてインドに行くか。会社を辞めるか。結局、会社からはあっさり帯同OKが出たが、条件として、まず単身で赴任し安全であることを確認する事、であった。

何故そんなところに送り込むのか。未だに解せない。

インドを知り尽くした今思えば、「帯同したいけど出来なかったらどうしよう」と悩んでいるご家族はほぼ皆無で、「家族は来てくれなかった」という単身赴任者がとても多いように感じる。一緒にインドに付いてきてくれて感謝である。

 

僕は人柱だった

後日、会社の海外事業部に行き、色々と話を聞くことになった。それまで接点の無い部署なのでアウェーなのだが、皆さんは温かく迎え入れてくれた。

今ならわかる。

あれは生贄に対する同情の眼差しだった。

事実、僕は会社ではちょっとした有名人になっていた。初めて会う人から悉く「君がケララ君か!」と何故か名前を知られているのだ。多分、得体の知れない若手がいきなりインドの田舎に単身で吹き飛ばされるのはちょっとした事件だったのだろう。

ちなみに海外事業部は出張者がその土地のお土産を買って帰る習慣があるそうだが、インド土産は手を付けられず佇んでいた。失礼な話である。まあ、まずそうだし、実際まずい。

 

会社は何も教えてくれない

色々と聞きたい事がありすぎて、やっとその状態から解放されると思った海外事業部訪問。しかし、そこに期待していたものは無かった。

・勤務地は決まってる(工場)けど、どこに住むかは決まっていない
・工場の近くか、ちょっと離れた町か、ホテル暮らしで週末はデリー/グルガオンに家を借りて戻るか(現実的じゃない…)
・町にもスーパーや病院があるか分からないから探して
・日本人がいるかは分からない
・仕事内容はまだこれと決まってない、暫くは生活することが仕事
・赴任日は決まってないけど、明日にでも行って欲しいくらい急いでるから準備出来たら行って
・行ってから考えよう

 

やっぱダメかも・・・

 

後日談で、最初何も分からない状態で無理やり送ってしまったのは会社のミスだったと彼らが認めている(謝られてはいない)。今でこそ生きているが、今日この日を迎えるまで何度も心が折れており、もし本当にギブアップしてしまっていたらどうしてくれるんだと言いたい。しかし、千尋の谷から這い上がっただけあって、それなりのサバイバル能力が身に付き、インドへの適応を果たしたことは結果的には良かったと思う。

 

 続く。