ゆとり世代のインド生活

いきなりインドの田舎にぶっ飛ばされ、インド人だけの環境にぶちこまれた哀れなゆとり世代の独り言。デリー、ムンバイへの憧れ。将来への期待と不安。大気汚染による健康被害への深刻な不安。

インド赴任までの準備 会社編

赴任準備 会社関係

内示から赴任予定日までは2か月もなく、とにかく準備に忙しかった。忙しすぎて不安は一瞬忘れてしまっていた。それだけは良かったのかもしれない。


内示後の主な業務

・後任や同僚への業務引継ぎ
・社内外関係者への連絡
・未作成レポート類の作成
・デスク回りの整理、資料等の処分
・会う人皆に聞かれる「インド行くの?」から始まる報告会
→この時間が多かった。毎回同じことを聞かれるので回答もテンプレ化。
・英語の研修
駅前留学的な一般的な英会話教室に通う事を義務化されたが、土日も行ったりして も全部消化出来ず。

会社関係での赴任準備というのは国内転勤とほぼ変わらないと感じた。一番の違いは語学研修か。これは赴任国によっても違い、そもそも通訳が付く国の場合は必要ない。インドは英語圏という事で英語を勉強してから行ってね、という事だった。

英語コンプレックスの僕にとっては相当の不安要素であった。

それはまたの機会に。

 

ちなみに社内での一般的な海外赴任までの期間は、内示を受けてから赴任まで最低でも2~3か月は余裕がある。公募などで決まった場合は赴任が半年以上先になる。その間にじっくりと語学研修を行ったり、赴任先の国について勉強したり出来るのである。僕の周りにもいたが、毎日Wikipediaやネットの記事でダラダラと調べものしていて、かなり暇そうであった。

ちなみに僕は、午前中に会社関係の引継ぎを行い、午後に駅前留学に行き2~3講座取る(帰ってからは次の日の予習)というハードワークだった。

 

何だこの差は。

 

 

 

 

 

インド赴任まで その2

家族会議

主な論点は以下の2点であった。
①この辞令を受けるかどうか(断る=辞める?)
②家族帯同可能かどうか

①については、家に着くころには十分すぎるほど考えを巡らせていたため、「自分のキャリアにとって間違いなく有利に働くため(行きたくないが)行くべきだろう」と結論付けていた。
問題は②である。会社にとってもインドは初進出であるため前例などあるはずもなく、可能性は半々くらいの感覚だった。もし帯同不可となったら、どうするか。そこまでしてインドに行くか。会社を辞めるか。結局、会社からはあっさり帯同OKが出たが、条件として、まず単身で赴任し安全であることを確認する事、であった。

何故そんなところに送り込むのか。未だに解せない。

インドを知り尽くした今思えば、「帯同したいけど出来なかったらどうしよう」と悩んでいるご家族はほぼ皆無で、「家族は来てくれなかった」という単身赴任者がとても多いように感じる。一緒にインドに付いてきてくれて感謝である。

 

僕は人柱だった

後日、会社の海外事業部に行き、色々と話を聞くことになった。それまで接点の無い部署なのでアウェーなのだが、皆さんは温かく迎え入れてくれた。

今ならわかる。

あれは生贄に対する同情の眼差しだった。

事実、僕は会社ではちょっとした有名人になっていた。初めて会う人から悉く「君がケララ君か!」と何故か名前を知られているのだ。多分、得体の知れない若手がいきなりインドの田舎に単身で吹き飛ばされるのはちょっとした事件だったのだろう。

ちなみに海外事業部は出張者がその土地のお土産を買って帰る習慣があるそうだが、インド土産は手を付けられず佇んでいた。失礼な話である。まあ、まずそうだし、実際まずい。

 

会社は何も教えてくれない

色々と聞きたい事がありすぎて、やっとその状態から解放されると思った海外事業部訪問。しかし、そこに期待していたものは無かった。

・勤務地は決まってる(工場)けど、どこに住むかは決まっていない
・工場の近くか、ちょっと離れた町か、ホテル暮らしで週末はデリー/グルガオンに家を借りて戻るか(現実的じゃない…)
・町にもスーパーや病院があるか分からないから探して
・日本人がいるかは分からない
・仕事内容はまだこれと決まってない、暫くは生活することが仕事
・赴任日は決まってないけど、明日にでも行って欲しいくらい急いでるから準備出来たら行って
・行ってから考えよう

 

やっぱダメかも・・・

 

後日談で、最初何も分からない状態で無理やり送ってしまったのは会社のミスだったと彼らが認めている(謝られてはいない)。今でこそ生きているが、今日この日を迎えるまで何度も心が折れており、もし本当にギブアップしてしまっていたらどうしてくれるんだと言いたい。しかし、千尋の谷から這い上がっただけあって、それなりのサバイバル能力が身に付き、インドへの適応を果たしたことは結果的には良かったと思う。

 

 続く。

 

インド赴任まで その1

転勤は突然やってくる


転勤は突然やってくる。日本にいた時もそうだったが、周りは皆知っていて、自分だけ知らないなんて事がよくある。先輩社員は「気づかなかった?」と言ってくるが、鈍感な自分が気づくわけはない。どうやらヒントは色々あるそうだ。所謂、「今後」の話をしても仕方がなくなるので、そういった話題になると歯切れが悪くなるらしい。確かにネタ晴らし後に思い返すと、そうだったかもしれない。まあ、転勤のある企業に勤める以上、突然の辞令は避けられないし、それを承知で入社しているため、それを言っても仕方ない。サラリーマンは受け入れるしかないのだ。

 

インド行きは突然やってきた

転勤は突然やってくる。サラリーマンの宿命である。突然部長に別室に呼ばれる。わざわざ別室に呼ばれる用事など、異動のお知らせ以外の何物でもない。別室まで1分もかからないが、その間に色々と考えを巡らせる。本社かな、工場かな、どの部署かな、あの部署ならやだな。もう全て決まっているし、考えても意味が無いとは分かっているが、不安なのである。そこで部長の口から出てきた驚くべき単語に言葉を失う事になる。

部長「インドに行ってもらうから。」

目の前が真っ暗になった

A4サイズ1枚を贅沢に使い、余白を大いに余らせた「概要」では、到底そこでの仕事や生活を思い描くことなど不可能だった。そして困ったことに、部長に質問しても何も情報が出てこないのだ。
「いつ赴任するんですか?7/1付けになってますが、今5月末ですよ。」
「本社に聞かないと分からない」
「勤務地はどこなんですか?」
「本社に聞かないと分からない」
「家族帯同出来るんですか?」
「出来るんじゃないかな・・?でも聞かないと分からない。」
ただのメッセンジャーである。この時部長は自分も聞いたばかりだから何も知らないと言っていたが、数か月前から知っていたようである。当然だが。

まず妻に連絡する。
「大変な事になった。落ち着いて聞いて欲しい。」
その日は一日仕事にならなかった。まずは「インド」という検索ワードで片っ端から調査を開始した。

画像検索した際に死体の画像が出てきたときは本気で青ざめた。

そう、この日からインドとの闘いは始まっていたのだ。

続く。